P-51:最優秀レシプロ戦闘機にして、最も美しい機体
私が大戦レシプロ機を好きになった大きなきっかけの一つは、間違いなくこのP51マスタングであろう。
初めてこの飛行機の姿を見たときの衝撃は、今でも覚えている。
恥ずかしながら、ガキンチョの頃の私は
「F15」のようなジェット戦闘機こそが一番かっこいい!
などと思っていた。
「プロペラ戦闘機なんて、こういう↓野暮ったい飛行機ばっかりだろw」
・・・などと考えていたのだ。
簡単に例えるなら、「日本の昔の飛行機」といったらみんな「ゼロ戦」しか思い浮かばないのと同じようなノリで、WW2や太平洋戦争期の飛行機は「そんなもん」としか思っていなかったわけだ。
※なんだったらWW1の複葉機とすらあまり区別がついてなかったかも・・・
↑の図も、筆者が子供の頃に描いたものの復元だが、まさに「ゼロ戦」をイメージして書いたものだと思われる。
※もちろん、今では零戦もまた美しい飛行機であると思うが。
しかしそういう筆者に対し、父は黙って書庫を掘り出し、ある本を見せてくれた。
それは、父が子供の頃に集めたWW2航空戦を題材にした漫画作品などだった。
最初に読んだのは、『紺碧の艦隊』の漫画の作画なども担当している荒巻義雄さんほか、いろんな漫画家が描いた短編集をまとめた本で、日本陸軍・海軍航空隊両方の活躍が描かれていたわけだ。
そして、松本零士の『戦場まんがシリーズ』も半分以上揃っていたので、そちらも読ませてもらった。
なんせまだ小学校低学年だったので、漢字なんてほとんど読めない。
人名や日本の飛行機の名前もよく分からん。解説欄も何言ってるか分からねぇ。
ぶっちゃけ、飛行機の見分けとかも当時は全然つかなかった。
そんな「にわか」のガキンチョに過ぎなかった筆者だが・・・
初めて見たこのレシプロ機だけは、猛烈に筆者の記憶に残った。
引用:https://toflyandfight.com/the-p-51-mustang/
それが、アメリカ陸軍航空隊のP-51(D型)であった。
先ほど筆者が描いた絵のような、野暮ったい「プロペラ付けた飛行機」のイメージとは全く異質な、流線型で構成されたスマートなデザイン。
銀色に輝く(漫画だと白一色だが)ボディ。
その姿はまるで、洗練されたスポーツカーのよう。
「え、かっこいいぞこのプロペラ機・・・!」
まさに「一目惚れ」だったかも知れない。
そして、その見た目に恥じぬ性能と活躍ぶりは米国でも今なお人気を集め続けている。
遺憾なことに、筆者が読んだ漫画は基本的に→寄りなものばかりで、P51は基本的に「噛ませ犬」としてのかわいそうな役回りが多かった。
だが、
「当時の戦闘機がだいたい速度600km/h前後でやり合ってる中、約700km/hという圧倒的な最高速度」
「実際はB17やB29を護衛しながら、ドイツ機や日本機を片っ端から制圧したと言っても過言ではない活躍ぶり」
これらの事実を知ると、
「これほど、見た目も性能も何もかも完璧な飛行機が他にあろうか、いや、ない(反実仮想形)」
とばかり、筆者はこの飛行機がますます好きになったのだった。
日本の漫画作品で噛ませ犬にされるのも、それだけ日本がP51という機体に相当痛い目を見せられた証拠でもあるだろう。
当時、小学校の発表会で「地元であった大空襲」を題材にした紙芝居をやることになったのだが、飛来する敵機としてP51やB29を一機ずつ、無駄に丁寧に描き込んで同級生を引かせたのはいい思い出(黒歴史)である。
もちろんMe262なども大戦機を好きになったきっかけの一つではあるが、あれはジェット機でありちょっと特殊なケースなので省く。
やはり「レシプロ機」に限定すれば、筆者を大戦レシプロ機の沼に引きずり込んだ犯人は間違いなくこのP51であったのだ。
むろん、多くの罪のない人命を奪った無差別空襲への加担や、民間人への機銃掃射などは筆者も許せないとは思う。この機体を見ただけで嫌がる人もいるのは仕方ない。
だがそれはそれとして。
ここでは、筆者はあくまでP51という飛行機を、設計者が丹念込めて練り上げた「作品」として見たいのだ。
形や姿の美しいものを「美しい」と感じることに、敵も味方もないし、歴史も関係ないと筆者は思っている。
「P51」の数奇な生い立ち
P51がWW2における米軍の最優秀戦闘機・・・という評価は多くの現代人が認めている。
・・・だがこのP51という機体、意外や意外。
・・・というように、「純度100%のUSAパワー!!」とかで作られた飛行機ではないのだ。
むしろ、様々な偶然と幸運、そして人の縁が積み重なったことで完成した傑作機なのである。
もとは英国への輸出用に開発がスタートする
そもそも、このP51は「次期アメリカ主力戦闘機」として、アメリカ軍の期待を一身に背負って生まれた名機・・・というわけでは全くなかった。
そもそもP51というのは、
「P40の代わりに同盟国イギリスへ輸出するための機体」
・・・として開発がスタートした飛行機だったりする。
第二次大戦が勃発した直後・・・
国産戦闘機が不足し、かつドイツの脅威に晒されていたイギリスやフランスは、アメリカからの機材供与を受けるためにあれこれと手を打とうとしていた。
しかし、当時のアメリカ製の戦闘機はドイツのBf109や英国のハリケーン・スピットファイアに比べてもどうにもパッとしない機体が多かったので、イギリスなどに輸入される機体は限られていた。
そんな当時のアメリカ製戦闘機の中では「比較的モノになる」とされていた機種のひとつが、カーチス社のP-40だったのである。
・・・が、このP-40もカーチス社からの直輸入だけではどうにも数が足りない。
一応P40はアメリカでも主力戦闘機として扱っている機体だったので、同盟国に十分な数を行き渡らせるほど余っているわけでもなかった。
そこでイギリスの輸入委員会の長だったヘンリー=セルフ卿は、懇意にしていたノースアメリカン社に対して、
「いっそこのP-40を、ノースアメリカン社で生産して渡してくれないか?」
と、打診したのだった。
そして当時のノースアメリカン社の社長だったキンデルバーガーは、この英国からの申し出を「商談のチャンス」だと捉えた。
ノースアメリカン社の主任設計士のエドガー・シュミュードにこの話を相談した結果、キンデルバーガーはヘンリー=セルフ卿にこう回答する。
「いや待ってください、P40が欲しいですってお客さん!?」
「ウチの会社ならP40なんかよりいい飛行機を、同じエンジンで、より短い製作期間で作って見せまっせ!」
・・・そういった経緯の中、かなりのハードスケジュールで1940年3月から開発がスタートしたのが「NA-73」・・・のちの「P51」という機体だったのである。
つまり。
もともとP51は「アメリカ軍の期待を一身に背負った次世代戦闘機」としてどころか、「英国が数を欲しがっていたP40の代替品」として開発がスタートしたのであった。
設計主任は、エドガー=シュミード技師
この「P40に代わる英国輸出用飛行機」の設計主任を任されたのは、先にちょっと登場したNA社の主任設計士であるエドガー=シュミュード技師である。
なお、このシュミード技師はかなり面白い経歴を持っており、元は敵国であるドイツで生まれた人物だった。
厳密には、ドイツからブラジルを経てアメリカに帰化した人物なのでそういう意味では「アメリカ人」ではあるのだが・・・。
しかし、P51という機体は「ゲルマン職人」が設計した機体である、という事実はなかなか皮肉なものである。
数年後、シュミードの設計したP51が、生まれ故郷であるドイツをボコボコにすることになるわけなのだから・・・というのは後のお話。
なお、シュミード自身にドイツに対してどれほどの愛着があったかどうかは謎だが、周囲からはドイツ出身ということで変な噂を立てられることはあったようだ。
たとえば、シュミードは「昔はBf109などを設計したBF(バイエルン飛行機)社にいた」という噂を立てられることがあったらしい。
実際のシュミードはBF社やその後身であるメッサーシュミット社とは全然関係がなかったわけだが、彼の出身がドイツであること、あるいはBf109とP51が素人が見ると「よく似たシルエット」だったこと(あとファミリーネームががシュミードで若干メッサ―シュミットっぽかったから)等もあって、そうした根も葉もない噂に晒されることもあったのだ。
それはともかく・・・キンデルバーガー社長(というか英空軍)からかなりハードスケジュールを提示されたシュミード技師だったが、彼はその期待に見事に応えて見せる。
普通、新型戦闘機の開発というのは年単位で時間がかかるもの。
Fw190も設計開始から初飛行まで1年ほどはかかっているし、スピットファイアも約1年。
しかし、この「NA-73(この頃はまだP51とは呼ばれていない)」は、開発がスタートした1940年3月から半年ちょっとの10月には初飛行。
他社平均の2倍弱というかなりのハイペースである。その突貫工事のせいでいくつか問題点も残る羽目になるのだが。
おまけに、これまでノースアメリカン社は練習機で実績を残していた会社で、戦闘機を開発したことがなかった。
要するに、NA-73の成功失敗は完全にシュミード技師の腕前次第という状況で、経営判断としてはかなりの見切り発車で開発がスタートされたわけである。
そして結果的に、この判断はノースアメリカン社を躍進させるきっかけとなった。
シュミード技師にはもともと戦闘機設計の腹案があったのだろう。
先のキンデルバーガーの急な「無茶ぶり」にもシュミードはむしろ積極的に応え、その言葉通りに「P40より遥かに優れたNA-73(P51)」を生み出すのである。
P40よりは高性能だが、戦闘機としてはイマイチだった初期型「マスタング」
そうして開発されたNA-73(P51)は、1942年3月に「マスタング.MkⅠ」として600機ほどが英空軍に送られて実戦配備される。
つまり、初めて実戦配備されたNA-73は英空軍向けの「マスタング」であり、「P51」という名称はまだなかったのである。
なお、英空軍におけるマスタングMkⅠの評価はなかなか高く、航続距離が短い英国製単発戦闘機ではできない、遠距離の対地任務や偵察任務も可能なので重宝された。
特に欧米機は航続距離の短さに悩まされることが多く、Bf109やスピットファイアはどちらも「高い機体性能に、短すぎる航続距離」という欠点があった。
一方、マスタングは大容量の燃料タンクを装備しているため航続距離が非常に長いのである。
・・・ただし、肝心の「戦闘機」としてはあまり使われなかったようだ。
というのも、マスタング Mk.Iには「ヨーロッパ戦線の主力戦闘機」として使うには大きな問題があった。
それは、スピットファイアやドイツのBf109の得意な高高度戦闘が苦手というもの。
ただ、これはNA-73の設計が悪かったのではなく、搭載しているエンジンの問題であった。
(航空機は、機体とエンジンは別々の会社で設計開発されるのが一般的だった。ドイツも日本も機体設計は進んだのに高性能なエンジンが完成しない・・・というパターンでお蔵入り、または実戦投入が遅れた機種は多数ある。)
実は、マスタング初期型をはじめ多くの米軍機に搭載されていた「アリソン社製V-1710エンジン」は、高高度性能が乏しかった。
つまり、
「P40と同じエンジンを搭載しつつ、かつ超える飛行機を飛ばしてやるぜ!」
というキンデルバーガーのセリフの通り、本当にP40と同じ系統のエンジンを搭載した飛行機を作っちゃったのが裏目ったわけである。
しかし、Bf109もスピットファイアもエンジン性能の向上でだんだん戦闘高度が上がっていき、低空向け(ようは高高度性能が低い)エンジンを搭載したマスタング.MkⅠには厳しい世界だったのである。
むろん、航続距離と低空での高速性能は対地攻撃機(ヤーボ)として、または偵察機としては英空軍にとって十分価値のあるもので、「駄作」と烙印を押されたわけではないことは断っておく。
(その英空軍に実際「駄作」として捨てられたP39という前例もある)
ただ、「欧米の戦闘機」としてはあまり価値がなかっただけで・・・。
米軍仕様「P51(A)」「A36」も少数配備に留まる
NA-73ことマスタングは、元々英国への輸出向けに作られた機体であったためもあって、米陸軍航空隊の関心はあまり向いていなかったようだ。
確かにP40より高性能ではあったが、同時期にはNA-73よりも高高度性能に優れ、大馬力エンジンで700km/h近くを叩き出すP47というバケモノが開発されていたこともあったかもしれない。
※実際、P51B型以降とP47はパイロットの間では評価が分かれており、むしろ頑丈で大火力なP47を好むパイロットが多かったという。
ただし、一応「P40よりは高性能」ということで、米陸軍もこの機体にちょっと関心は寄せていたようである。
米陸軍航空隊はその気になれば航空機の海外への輸出を禁止できる権利を持っている。
軍に「他国に自国の機体をポンポン売りさばくな」とか「自国向けの生産を優先してね!」と言われたら従うしかないわけだ。
そこでノースアメリカン社は、軍によるNA-73の輸出禁止権を行使されないよう、2機のNA-73をタダで軍に提供することでご機嫌を取る。
ようは、英国軍への商売を邪魔されないように手を打ったということなのだろう。
・・・なお、受け取った陸軍はこの機体にやっぱり大して期待していなかったらしく、特に実験や研究などに使用されたりもしないまま倉庫の肥やしになってしまったが。
まあ結果的に「イギリス様との商談を軍の介入で潰させない」という、ノースアメリカン社の目的は十分に達成された。
予定通りに機体の納入は進み、英国での活躍が伝わるにつれてか、米陸軍はイギリスで使われていたマスタングMk.ⅠA(イスパノ機関砲4門を搭載したもの)を逆輸入する形で配備し始める。
そのマスタングMk.ⅠAの米国名称が「P51」となる。
その他、偵察機型のF6、NA-73を対地仕様にしたA36、さらにA36を改修して低高度戦闘機とした「P51A」などの派生型も生まれたが、いずれもそれほど多くは生産されなかったようだ。※P51初期型の型番はややこしいので後で解説。
しかしやはり高高度性能の不足は否めず、戦闘機として使用された中国戦線も低空での戦闘が多く「フライングタイガースなどが使うP40よりは高性能だし、使わないと損だよね」ということで使われていたにすぎない。
少なくとも、この時点のP51は「最優秀戦闘機」と呼ばれるほどの機体ではなかったのである。
思い付きで英国製マーリンエンジンを搭載してみたら、劇的ビフォーアフター!
そして「傑作機」として本格的に活躍を始めるB型以降は、ほとんど偶然生まれたと言っても過言ではなかった。
きっかけは、ロンドン駐在のアメリカ武官が
「エンジンのせいで高高度性能微妙だけど、逆にエンジン換えたら化けるんじゃね?」
と、提案したことによる。
折しも、英国にはアリソンエンジンと同サイズながらより高性能な「ロールスロイスマーリン61エンジン」があり、これは主にスピットファイアMk.Ⅸなどに搭載されるものと同系統の高出力液冷エンジンだった。
英国側も、英国製戦闘機にはないマスタングの優れた長所を知っていたので、早速マスタングの数機をマーリンエンジンに換装した「マスタングMk.Ⅹ」を試作する。
※図:マスタングMk.Ⅹ。試作機なので色々洗練されていない野暮ったい見た目だが、かなりの高速を発揮して関係者を喜ばせたという。
改造元となった5機はそれぞれ違った改修を施され、試行錯誤の結果、高度21,000 フィート (6,401 m) で 700km/h 近い高速を発揮。
同時代のスピットファイアが敵のBf109やFw190が600km/h台中盤でやりあっていた時期だったので、この性能はまさに驚異的だった。
このテストを見た米軍関係者も大急ぎで本国に報告し、当初あまりこの機体に注目していなかった米軍も改めてマーリン搭載型をテスト。
その長大な航続距離と飛行性能は他機種では替えのきかないものであり、ここでついに「P51」が米陸軍の主力戦闘機として採用されることとなる。
そのためにアメリカは、英国製のロールスロイス・マーリンエンジンのライセンスを米パッカード社に取得させて生産させることになるのだった。
なお。このパッカード社製マーリンエンジンはのちに英国にも逆輸入され、スピットファイアMk.16型が誕生しているが、それはまた別のお話。
・・・
・・・そんなこんなで、
「マスタングの本気」はこのマーリンエンジンを搭載したうえでより設計を練り直したP51B/C型から始まる。
B17・B24爆撃機の護衛戦闘機として活躍
高高度での優れた性能、長い航続距離。
そんなマーリン搭載の新型P51にとって、まさにうってつけの任務があった。
それは、ドイツ軍の兵器を生産する工場や、ドイツに占領されたヨーロッパの輸送システムを破壊するために開始された「戦略爆撃」・・・その護衛任務である。
1943年頃、米陸軍は英本土に駐留させたB17やB24などの大型重爆撃機をたびたび出撃させ、英空軍のランカスターやハリファックスとともに戦略爆撃を行っていた。
しかし、当時はB17やそれよりさらに長距離まで飛行するB24を護衛できる戦闘機が不足していたのである。
ドーバー海峡を越えてフランスやベルギーで爆撃をするだけならともかく、ドイツ本土まで爆撃するとなると、「戦闘機の燃料不足で、最後まで護衛できない」という大問題があったのだ。
要するに、敵地に侵入する前後という一番敵戦闘機に襲われやすいタイミングで、護衛もなしに爆撃機のみで突っ込まなければならないわけである。
・・・が、それでも連合軍はこの爆撃任務を強行してしまった。
その原因としては、
- 連合国側が、ドイツの迎撃能力を甘く見ていたこと
- ↑の結果として、比較的航続距離の長いP38を護衛から外し
- 期待されていたP47の増槽タンクに問題が発生し、その改良も遅れた
・・・などの悪条件が重なったわけだが・・・
護衛もなしでドイツ本土へ突っ込んでいった米重爆撃機部隊は、当然のごとくドイツ軍の地上部隊と迎撃戦闘機の猛反撃を喰らう。
おかげで、想定以上の損害を受ける羽目になった。
酷い場合には、
- 数百機が出撃して50~60機が帰ってこない
という甚大な被害を出し、多くの貴重な爆撃機クルーが失われることになった。
※映画『メンフィス・ベル』などでは、この過酷なドイツ本土爆撃の様子が見られる。なぜか護衛機に、当時いなかったはずのP51Dがくっついてたりとおかしい部分もあるけど
そんな中、「長大な航続距離を持ち」「P47に勝るとも劣らない高高度性能・高速性能を持つ」P51B、C型が登場したことは大きな助けとなった。
それまで、B17やB24を数百機を出撃させては毎回数十機が帰ってこない、という大損害を被っていた爆撃部隊だったが、護衛戦闘機さえいれば重爆部隊の損害は劇的に減少し、片手で数えるほどまで減少したという。
そして・・・
ようやく登場。
P51の決定版となった「P51D」では各種改良により、P47と並ぶ主力として活躍することになる。
対地攻撃機としても使用されるが・・・
なお、P51はボマーエスコートとしてだけでなく、対地任務でもそれなりに使われていたことは初期型の項目でも解説した通り。
むろん、B~D型が対地任務に駆り出されることも珍しくはなかった。
・・・が、P51のような水冷エンジンは、
「ラジエターなどの被弾にとても弱い」
という欠点があり、激しい対空砲火に晒されやすい対地任務ではいささか分が悪かったのだ。
冷却装置のどこかに被弾すれば、すぐに冷却水漏れ等を起こしてエンジンがオーバーヒート、墜落または不時着を余儀なくされてしまったのである。
なお、頑丈な星型空冷エンジンと、デカいエンジンと機体によりたくさんの爆弾やロケット弾を積めるP47の方が対地任務には向いており、そういった部分においてはP47が上であることが証明された。
とはいえ、空戦ではやや鈍重なP47よりもP51の方が有利な場面は多く、通算撃墜5機超えのいわゆる「エースパイロット」も多数生み出している。
しかし、P47も空戦性能では末期の練度も機材も劣化していくドイツ軍を相手にするには十分であり、むしろ防御力と火力の差からP51よりP47を好むパイロットも一定数いたことは先に述べた通りである。
「最強」と「最優秀」
なお、P51は「最優秀」ではあるが「最強」ではない・・・といった解説を筆者も時たま見かける。
そもそも戦闘機における「最強」とは何か・・・というと、これはなかなか結論が難しい。
たとえば、飛行機にはエンジン性能や機体特性によってそれぞれ「得意とするフィールド」がある。
たとえば零戦は、低速域・低~中高度での旋回を活かしたドッグファイトではめっぽう強かった。
しかし、エンジンの問題で高高度ではエンジンがまともに動かずヘロヘロになるし、高速域だと舵が固まって機動性が悪化する特性がある。
※その弱点を見抜いた米軍は、「ゼロ戦とはドッグファイトをせず、一撃離脱をかけて速度で振り切れ」という作戦に切り替えていくわけだがそれはまた別の話。
一方、P51は「層流翼」という、当時の戦闘機にはほとんど使用されなかったタイプの翼を持っており、これは高速での機動性を確保しているため、エンジン特性も手伝って高高度の高速戦闘は得意だった。
しかし、この翼形は「低速度域の失速を誘発しやすい=つまり低速時の飛行安定性が悪化する」という欠点もある。
実際、中国戦線では「隼」など、旧型ながら低速・低高度で運動性に勝る戦闘機に不利な戦いを強いられ、撃墜されることもあった。
また、「色んな性能を比べると、一つ二つくらいP51に勝る項目がある」ということもあり、もしパイロットがミスをして敵の得意なフィールドに持ち込まれれば、P51とて無敵ではないのである。
むろん速度に関しては大戦全体を通してもかなりのもので、特に日本機相手だとP51の最高速度に追いつける機体は皆無だったことは間違いない。
しかし、日本機の得意なドッグファイトに持ち込まれればやはり不利は否めない。
また、速度に関してもドイツのBf109KやFw190D後期型・Ta152などにはやや優位の互角、あるいは高度域によってはわずかに上回られることもあった。
おまけにあいつら、戦争終盤には800~900km/hで飛ぶジェット・ロケット戦闘機というインチキを投入してくるし・・・。
また、スピットファイアも「グリフォンエンジン」というモンスターマシンを積んだ後期型では高高度でもP51を上回る高速を発揮し、馬力にモノを言わせた上昇力でも勝る。
このように、P51は決して「最強」ではなかった。
しかし、P51は、
- 「全ての性能が、まんべんなく高水準にまとまっている」
- 「かつ、量産性も高く、安定した補給体制により十分に性能を発揮できる」
という、量産兵器としては十分すぎるほどの長所を持っていた。
現に、たとえば日本機相手には速度を活かした一撃離脱、速いが運動性の劣るドイツ機には逆に高速旋回戦で挑む・・・など、相手に応じて有利な戦法で戦うことができたのだ。
そして、量産性に優れた構造により十分な数が配備でき、それを扱うパイロットの質も高かったことも大きかった。
特に、当時としては圧倒的な高速性能を誇り、上手く扱えば一方的に連合軍機を攻撃できたMe262ジェット戦闘機が信頼性に劣り、また物資やパイロットも不足していたことから十分に活躍できなかったことは有名であろう。
兵器とは、圧倒的高性能機が少数いれば戦況をひっくり返してくれる!なんてロマンチックなものではない。
十分な数と信頼性、ある程度のことをそつなくこなせる汎用性、そして扱う人間の量と質が「名兵器」を「名兵器」たらしめる重要な要素なのである。
P51は「最強」でなくとも「最優秀」と言われるゆえんは、そういった様々な評価基準を加味してのものなのだ。
結構デブだったP51
なお、余談だがP51は「結構デブ」だったと言われる。
ようは、「機体規模の割にやけに重たい」ということなのだが。
実際どのくらいデブなのか筆者は調べてみたことがある。
その結果は、以下のデータを参照して欲しい。
★空虚重量比較(MASDFや飛行マニュアルの記載を参照)★
P51A・・・約2.8トン
P51D・・・約3.4トン
フォッケウルフFw190A8およびD-9型・・・約3.2トン
メッサーシュミットBf109G6・・・約2.4トン
スピットファイア.MkⅨ・・・約2.3トン
四式戦闘機「疾風」・・・約2.7トン
・・・と、こんな感じであるが。
このように、他国機と比べてもP51が「相当重い」機体だったことが分かるだろう。
数字だとイメージしづらいかも知れないが、飛行機にとって「数百キロの違い」というのはかなりデカい。
400kg~500kgの違いは、たとえるなら馬一頭を余分に乗っけて空戦しているようなもので、そう考えると結構な差である。
A型はまだしも、P51D型ではさらにデブになって空虚重量3.4トンにまで増量。
こうなると敵であるBf109G6以降(これでもメッサーの中では武装強化や追加装備により重くなった方)に比べて1トンもの重量差がある。
欧州戦線の単発戦闘機でこいつより重たい機体といえば、
P51より全てが一回りデカいP47(約4.5トン)。
または、デカい大馬力エンジンを積んだホーカータイフーン・テンペスト(約4トン)。
さらに、海軍も比較対象に入れるなら、F6FやF4U(各約4.1~4.2トン程度)もいる。
しかし、彼らは艦上機なので着艦制動フックや主翼の折り畳み機構があり、また十分な防弾装備を施した機体のため重量増加はやむを得ない。
Ta152なども4トン程度だが、こちらも高高度用のデカい翼とデカいエンジンを搭載しているので重たいのは当然か・・・
また、フォッケウルフFw190A8型はP51よりは小型だが、対爆撃機を想定した頑丈な機体構造や重武装により「かなり重たい方」とされる戦闘機である。
それでもP51Dよりは200kgも軽い。
P51はスマートな外見に反して、内臓脂肪が溜まってるイケメン中年のごとく、相当重たい飛行機なのである。
ご覧のように、比較的軽かったA型の段階から既にBf109Gやスピット後期型に比べて4~500kgも重たかったわけだが。
じゃあそんな重量なのだから、きっと内部構造とかが頑丈に作られてるんだろうな・・・というと別にそんなわけでもなく、機体構造自体は強度不足とまで言われていた。
スマートなデザインによる空力特性はともかく、内部は相当雑な設計になっていたのかも知れない・・・。
そんなわけで、
- 低速域では安定性に欠け、事故の可能性もあった
- 胴体燃料を満載している状態で空戦機動をすると、バランスを崩して最悪墜落する
など、乗り手にとっては結構洒落にならない問題も残されていた。
結局、実戦では
- 増槽タンクよりも、胴体燃料の方を先に使用する
などの対策でその問題をカバーしたようだ。
そもそも燃料満載状態で飛ぶのは、爆撃機を長距離護衛するために英本土から飛び上がった直後だけであり、連合軍がドーバー海峡の制空権を取っている状態では問題なかったといえるだろう。
が、やはりこの欠点により事故死してしまったパイロットも存在した。
これらの設計問題・重量問題は、P51のさらなる発展型が完成するまで解決できなかったのである・・・。
【P51の派生型】
P51は、一口に「P51」とはいっても、型によってかなり性能や運用法が異なる。
そのため、ここでは「P51」の型や派生型、またその特徴をまとめてみた。
【マスタング.MkⅠ、およびP51】
B型以降とは明確に区別される、P51の初期型である。
B型以降との大きな違いは、アリソン社のあまり高高度性能の高くないエンジンを搭載していることである。
いわば「まだ本気を出していない頃のP51」。
「マスタング」は、「ノースアメリカン社が開発した英国向けの機体NA-73」に与えられた最初の名前である。
エンジンはアリソン社製なので高高度性能に問題があったものの、長大な航続距離と低空での性能は英空軍からも高く評価され、偵察や対地攻撃に活躍する。
標準状態では、米軍の一般的な武装であったブローニング12.7mm機関銃を機首に2丁、さらに2丁の12.7 mm機関銃+4丁の7.62 mm機関銃を主翼に備えていたが、武装強化型のMk.ⅠA型はイスパノ社製の20mm機関砲4門を搭載しており、なかなかの重武装を誇った。
「P51」は、英空軍で使われていたマスタングMk.ⅠA型の一部を逆輸入(帰国?)して米軍機として運用するために改称されたものである。
【A36アパッチ、およびP51A】
ここから少しややこしいのだが・・・
アメリカ陸軍は、英国に送るための「マスタング」とは別で、NA-73を対地攻撃機として再設計したものを発注した。
そうして生まれたのが「A36」”アパッチ”である。
武装を6丁の12.7 mm機関銃(機首に2丁、主翼に4丁)と、急降下爆撃時の速度超過を防ぐダイブブレーキ、さらに500ポンド (230 kg) 爆弾を2つ搭載可能とし、開発が遅れている米新型対地攻撃機の代わりに運用された。
そして、その「A36」を戦闘機仕様に差し戻したうえで「エンジンの馬力強化」「新型スーパーチャージャーの搭載」などの改良を加えられて出来上がった機体が
「P51A」
であった。
こちらは中国戦線に送られて、フライングタイガースなどで運用されていたP40から機種転換がすすめられた。
相手が高高度性能の低い日本機なので、P51Aでも十分戦えたのである。
・・・つまり、イギリス仕様のものを逆輸入した「P51」と、アメリカ向けに作られた対地攻撃型から転用された「P51A」は別物。
顔のよく似た別家系の親戚みたいなものであり、混同してはならないのである。
※てか、ぶっちゃけ筆者もちゃんと調べるまで知らなかった
図解するとこんな感じになる。
ただ、これらP51初期型は、使用された任務などの関係もあってあまり多数は生産されず、後述するB、C型の登場でお役御免となってしまう。
【P51BおよびC、マスタング Mk.III】
機体性能的に、P51が本気を出したのはこの型から。
A型との明確な違いは、エンジンがアリソン社のものから、英国のマーリンエンジンをアメリカで国産化した「パッカード・マーリンエンジン」に換装した点。
この神エンジンとの出会いにより、凡庸だったP51の性能は見違えるほど向上。
最高速度は700km/hを超えることとなり、高高度性能もトップクラスのものを獲得。
むろんその航続性能も健在で、特にライバル機・P47ではできない爆撃機の長距離護衛任務ができたことは大きなアドバンテージになった。
(P47にも増槽タンクが搭載でき、その場合P51並の航続距離を獲得できたが、そのタンクの実用化が遅れてしまったためB17部隊が多大な被害を被る原因になった)
こうして、「英国向けの輸出機体」にすぎなかったP51は一躍、米陸軍航空隊の主力機となっていく・・・。
なお、B型とC型は生産工場が違うために便宜上分けられているだけで、機体そのものは全く同じである。
B/C型はイギリスにも供与されて「マスタング Mk.III」と呼ばれた。
ただし、マスタングMk.Ⅰに比べると火力が低下(12.7mm機銃4丁)してしまっていたため、イギリスのパイロットには必ずしも好評ばかりではなかったようである。
また、風防構造による視界の悪さを嫌って、スピットファイアのような「全体が膨らみ、窓枠が撤去された簡易バブル型キャノピー」に交換して運用したものもあった。
※図上・・・通常型キャノピーのマスタングMk.Ⅲ
図下・・・「マルコム」型キャノピーに交換しマスタングMk.Ⅲ
【P51DおよびK】
我々がよく知る「イケメンなP51」の姿となるD型は、P51の決定版ともいえる型である。
それまでの型との大きな違いは、胴体が大幅改修されて、現代ジェットのような「水滴型キャノピー」が搭載されたことだろう。
引用:
今までの戦闘機は胴体後部とコクピットが繋がった「レザーバック型」が多く、操縦席から後ろがよく見えないため、空戦には不利だとされていた。
しかし、この水滴型キャノピーの搭載で後方もよく見えるようになり、パイロットの後方確認に大いに役立つこととなった。
※P47やスピットファイア後期型などにも同様の改修が施された。
武装も、ブローニング製12.7mm機銃4丁が標準だったB~C型から増強され、6丁となる。(中には重量増加を嫌って4丁のまま運用した個体もあり、逆にB~C型の機銃を増設した個体もあったようだ)
誤解される方もたまにいるが、P51Dは以上の改修による空力特性の微妙な変化や重量の増加により、単純な飛行性能はB~C型より若干劣化していたりする。
特にD初期型はキャノピー更新のための胴体の大幅改修により、横安定性が悪化してしまうという問題が発生した。
そこで、D後期型は垂直尾翼に「ドーサルフィン」を追加して面積を増大させることで、この問題をある程度改善したのである。
写真上:P51D初期型。
写真下:P51D改修型。機体後部の垂直尾翼の形が、ドーサルフィンの追加により若干変わっていることに注目。
・・・ただし、P51Dはこの改修以外にもマイナーチェンジ版が多数存在するので全部紹介していたらキリがない。(できたらいずれ紹介したいが)
中には高オクタン価の燃料を使用したハイブースト仕様の機体や、他にも後方警戒装置を搭載した機体、偵察用にカメラを搭載したものもあった。
P51Kは、プロペラの生産不足を補うべく、D型と違う会社のプロペラを搭載していることにより分けられた型で、それ以外はほぼP51Dと同じと見なしてよい機種である。
ただしこのK型、「D型よりも軽いプロペラ」ではあったが、振動発生による故障などのトラブルが相次ぎ、少数の生産に留まってしまった。
【P51J】
実は、米国内でもP51のエンジン換装案は研究されており、P51A型以前のエンジンを作っていたアリソン社自身も、高高度性能と馬力をアップさせた改良型エンジンの開発に取り組んでいた。
最終的に、二段二速過給機を搭載したアリソンエンジン改良型を搭載したP51は「P51J」として試作開発が進められ、かなりの性能向上が見られた・・・のだが。
パッカード社製のマーリンエンジンを搭載したP51B~Dが十分すぎる性能と戦果を残し、さらに大馬力のパッカード社製マーリンエンジン改良型を搭載したP51Hのほうに関係者の目が向いてしまったことなどから、量産されることなく終わった。
【P51H】
AFHRA - AFHRA, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=118391による
幻ともいえる、「P51シリーズ最終進化系」である。
結果的に優秀だったP51だが、もともとP51原型機が殺人的なスケジュールで設計された機体なのもあり、その機体構造にはいくつかの「粗」があった。
その中でも特に問題だったのが「構造上の無駄による重量増加」である。
特にP51Dは単発戦闘機としてはかなり重たい機体で、武装や燃料を省いた「空虚重量」を比べてもスピットファイアやBf109などよりずいぶん重たい。
そこで、そのP51を
- 「設計の見直しで軽量化し」
- 「さらなるエンジンの改良でさらに高性能を引き出す」
・・・という計画のもとに誕生したのがP51Hである。
なお、H型の開発にあたってD型をベースに軽量化したF型、G型、また新型アリソンエンジンを搭載したJ型の試作データが活かされている。
この最終進化系のP51は、最高で760km/h前後という、もはや黎明期のジェット爆撃機Ar234程度なら追い回せるレベルの最高速度を獲得。
おまけに日本の敗戦がもう少し遅ければP51Dに代わって大量投入される寸前だったというから恐ろしい。
・・・が、戦闘機としての性能に全振りしてしまった弊害で、ジェット戦闘機が主力になった時代になってしまうと、かえって部品供給や耐久性の問題からその価値を失う。
「レシプロ機は空戦能力よりも信頼性・耐久性で対地攻撃に従事する」
という運用思想に変わってしまった朝鮮戦争では全く使われず、むしろ「F51D」と名を変えたD型がH型を差し置いて使用される有様だった。
また、機体を変に絞りすぎた結果としてフォルムが崩れ、P51D型よりもなんか不細工になってしまった。
そのため、現代の復元も基本みんなイケメンなD型であり、現存していたH型もみんな人気のD型のための部品取りなどでバラされ、現存機はほとんどなくなってしまった。
※同じような開発思想のもと、P51H同様戦後に価値を失った機体として、海軍のF8Fが挙げられるが、あっちはレーサーとして生き残ったぶん、まだ幸せであったかも知れない・・・。
【F51】
日本同様、大戦当時はアメリカにもまだ「空軍」は存在しておらず、「海軍航空隊」「陸軍航空隊」という、あくまで「陸海軍の一部門」という扱いでしかなかった。
しかし、戦後「米陸軍航空隊」が「米空軍」として独立新設されたことで、空軍に引っ越ししたP51が「F51」と改名された。言ってしまえばそれだけである。
P51D型だけでなく、P51H型もそれぞれ「F51D」「F51H」と改称されたが、大戦後のレシプロ機の役割変化などの事情により、むしろ性能の劣る旧型のF51Dの方が対地任務で重宝され、H型の方はまともに実戦を経験しないまま退役した。
【P82、F82】
別名「ツインマスタング」といえばおおかた予想は付くだろうが、P51の胴体をくっつけてP38のような双胴にした、マスタングファミリー随一のゲテモノ機体。
しかも、操縦席はP38のように真ん中に一個あるのではなく、左右の胴体それぞれに一つずつあるのが余計ゲテモノ感がある。
これは片方の操縦者が休んでいる間にもう片方が操縦する・・・という、本機の運用コンセプトである偵察任務には合理的(?)な理由によるものだった。
なお、「P51を二つくっつけた」とは言うが、厳密には「P51Hの開発過程で生まれた、軽量試作型の「P51F」をくっつけたような機体」という方が正確。
さらに戦後に開発された改良型・F82Gは、試作に終わった「P51J」で搭載されたアリソン社製V1710に換装しており、こちらは「P51J」をくっつけた機体といった感じになっている。
・・・こんなゲテモノ飛行機は大抵失敗作に終わるのが常だが、意外にも朝鮮戦争まで活躍した。
当時のジェット機は空中給油もできず、航続距離も短いため長距離偵察などの任務には不向きであり、
さらにF82が複座式だったことも、長時間の偵察任務や夜間任務ではパイロット同士がカバーし合える利点として働いたという。
なお、その航続性能を活かして、
「ベティ・ジョー号(Betty Jo、P-82Bの44-65168号機)」
という個体がレシプロ機による無着陸飛行記録に挑戦し、
「14時間32分かけ、ホノルルからニューヨークまで8,129 kmを飛び続ける」
という世界記録を達成。
この記録は、F82(F82)以上の航続距離を持つ新型レシプロ機が開発されることはまずないであろうことから、今も・・・そして今後も破られることはないだろう。
あれ?普通に成功作じゃん!
「P51」あとがき
筆者が大戦レシプロ機を好きになったきっかけとして、やはり「P51」の存在は早い段階で語りたいと思っていたのだが。
しかし実際にこの機体の生い立ちや発展を調べると、子供の頃によく理解していなかった・・・またはスルーしていた面白い事実が次々と明らかになって、調べていて楽しい飛行機であった。
特に、P51はそもそも「英国に送るP40の代替品」程度のポジションで開発がスタートされたのは面白い事実だと思う。
また、設計者はアメリカやイギリスにとって敵国のドイツ出身であるシュミードが担当し、エンジンはもとはイギリス製のマーリンエンジン。
いわばP51という機体は、欧米をまたいだ不思議な縁と偶然が生み出した「最優秀レシプロ戦闘機」であり、何かボタンの掛け間違いがあれば存在しなかったかも知れない。
その見た目と、生い立ちのミステリアスさは、今なお筆者だけでなく世界中の航空ファンを魅了している。
なお、トム=クルーズが自家用のP51Dを所持して、飛ばすこともできるという逸話は有名である。
筆者にとっても一生涯の趣味を与えてくれたこの機体に、死ぬ前に一度でいいからイベントで乗ってみたいなぁ・・・などと思ったり思わなかったり。
その他
無料オンラインフラシムである「Warthunder」などでも当然のごとく登場し、有志のユーザースキンも多数作られており、SBモードで飛ばすだけでもなかなか良いものだ。
まだゲームのP51Dが弱っちくて不人気だった時代、なんとか僅かな長所を生かして飛ばしまくり、1ミッションで6キル0デスとかを達成したのはいい思い出である(笑)
他にも、DCSやIL2BoS(GreatBattle)なども含めてこの機体を飛ばせるゲームはたくさんある。
どこかの鯖でお会いしたならば、是非一緒にP51を飛ばしてみましょう。
ではでは、最後までお読みいただきありがとうございました。