飛行機好きのお砂場

WWⅡのヒコーキやパイロットについての愛にあふれた怪文書を書くブログです。

Bf109:ドイツ空軍の代表的戦闘機は、終戦まで戦い続けた悲劇の老兵

 

「世界で一番たくさん製造された戦闘機」

昔の筆者は、Bf109という飛行機に対してあまり魅力を感じていなかった。

 

同じ水冷エンジン搭載のP51、Fw190D、スピットファイア、あるいは三式戦などと比べると、どうにも角ばって野暮ったいデザイン。

 

当時の筆者はこの機体を「かっこいい」とは思えなかったのだ。

 

だが、最近になってむしろ(特にG型以降の)その「魔改造感」というか、

「小さな機体に極限までパワー(火力とエンジン出力的な意味で)を詰め込んだ」

デザインに魅力を感じるようになったのである。

 

 

そんな本機は、「戦闘機」としては世界で最もたくさん製造された航空機(34,852機)という肩書を持っている。

※単純な数で言えば、練習機のセスナ172(44,000機+今も生産中)が世界一である。ちなみにB24リベレーターは爆撃機として世界一の生産数(18,482機)。

 

これほどの生産数を誇ったのはドイツの工業力や技術力、あるいは本機の量産を考慮した優れた設計・・・という側面も確かにある。

 

 

・・・が、本機はそもそも設計が1930年代。

 

結局終戦まで戦い続けた本機だが、本来ならば後継機にその座を譲って引退していてもおかしくなかった。

 

 

実際、Bf109は魔改造に次ぐ魔改造で使われ続けたとはいえ、基礎設計からくる根本的な欠点をいくつも抱えていたために何度も「引退」が議論された。

 

 

・・・が、当時のドイツの戦闘機事情がそれを許してはくれず、フランケンシュタイン的な魔改造とドーピングにより無理矢理前線で戦い続ける羽目になったのだった。

 

それでもBf109は多くのドイツベテランパイロットから信頼され、連合軍の名だたる有名機を相手に奮戦し続けた。

 

ここでは、そんなBf109の生涯(?)を追ってみよう。

 

 

「Bf109」の由来について

そもそも、本機は「メッサーシュミット」なのになぜ「Bf」という型番なのか・・・初見では割と分かりにくいかも知れない。

 

同じメッサーシュミットでも「Me262」や「Me410」というように、ちゃんと「メッサーシュミット」の頭文字である「Me」を冠したものもあれば、「Bf110」のように、Bf109同様「Bf」が頭文字に付いている機体もある。

 

これは、もともとウィリー・メッサーシュミット博士が「バイエルン航空機製造(Bayerische Flugzeugwerke、BFW)」という会社に所属していた頃の作品だからである。

 

しかし、のちにBFW社はウィリー・メッサーシュミットのものとなり社名も「メッサーシュミット株式会社(Messerschmitt AG)」として生まれ変わる。

 

双発機Me210・410や、Me262は、BFW社がメッサーシュミット社に生まれ変わった後の作品であるため、「Me」を冠しているということである。

 

ただ、当時のドイツ国内外問わず、「Bf109」は「Me109」と呼ばれることも多かった。

 

大戦中の公式文書でも「Me109」と呼ばれていたり、かと思えば現場のパイロットは普通に「Bf109」と呼んでいたという話もある。

 

ぶっちゃけると、別にどちらの名前で呼んでも間違いではないということなのだが・・・。

 

 

サラブレッド」と呼ばれたBf109

Bf109は、小型の機体にパワフルなエンジンをぶち込むという、当時のドイツ戦闘機らしい設計思想で開発された。

 

設計はかなり古く、1934年に開発がスタートした本機だが、第一次大戦複葉機に毛が生えたような機体の多かった30年代において、

 

  • 単葉
  • 全金属・応力外皮式
  • 密閉式の風防
  • 引込脚

 

・・・など、当時としては最新の機構をふんだんに取り入れた野心作であった。

 

 

「小型軽量」という特徴は量産性にもいくらか寄与したが、その飛行性能も登場当初は間違いなくトップクラスだったといえる。

 

初期型はエンジンの非力さで競合機にその座を脅かされることもあったが、本命であるDB600シリーズのエンジンに換装してからはヨーロッパでも最強クラスの戦闘機として君臨し続けた。

 

 

軽さゆえの加速性、高速性、上昇性能などは空戦に有利に働き、小さな主翼のせいで翼面荷重は大きかったが、旋回性能も悪くはなかったようだ。

 

ただし旋回性能においてはスピットファイア相手では分が悪かった例も多く、テスト飛行でも「スピットファイアの運動性はBf109に勝る」とされている。

 

しかし、ハンス=ヨアヒム=マルセイユのように、本機をぶん回して逆にスピットファイアに食いついて撃墜する猛者もいたほか、燃料を満載した大戦後期の米軍機相手にはむしろ小型軽量な本機が機動性において有利に戦えることもあったとか。

 

敵機も徐々に性能アップしていったが、Bf109も度重なる改良やエンジン換装でなんとか連合軍機の性能向上についていき、ドイツ空軍の主力戦闘機として奮戦を続けた。

 

 

そんなBf109の明確な欠点としては、

  • 航続距離の短さ
  • 小型ゆえの火力増強の難しさ
  • 狭い操縦席による居住性の悪さ
  • 離着陸の難しさ

 

・・・等が挙げられる。

 

 

【10分ちょっとしか戦えない英国の戦い】

特にしばしば問題とされた航続距離の短さだが・・・

 

 

そもそも本機は小型軽量の戦闘機なので、まず燃料の搭載スペースもその分減ってしまうのは致し方ない。

 

 

また、航続距離が重視されなかった背景には、本機が開発された当時のドイツ軍の、航空機への考え方も大きく影響している。

 

 

当時のドイツ軍はいわゆる「電撃戦」重視で、「陸軍の速攻を支える直掩」としての空軍・・・という意味合いが強かった。

 

実際、ポーランド・フランス侵攻などの際は陸続きの隣国を電撃戦で仕留める、という戦法がある程度有効に働いていた時期だったわけで、航続距離の問題はあまり問題とならなかったのである。

 

・・・が。

 

フランスを攻め取ったドイツはやがてイギリスという、ドーバー海峡を挟んだ島国へ攻め込むことになった。

 

ドイツは、He111やJu87、Do17などの爆撃機を投入してイギリスの基地や工場を破壊しようとしたが、その護衛の戦闘機は当然必要となる。

 

本来、その護衛任務には双発戦闘機で航続距離を重視した「Bf110」駆逐戦闘機が充てられる・・・はずであった。

 

 

が、このBf110が護衛任務にはてんで役に立たないということが、バトルオブブリテン(英国の戦い)開始直後に明らかになる。

 

Bf110は、最高速度こそイギリスのホーカーハリケーンを若干ながら上回るものの、機動性(旋回性能や上昇力)はその図体のデカさと重量のせいで劣悪。

 

本来は高高度からの一撃離脱をするための戦闘機であったBf110だが、そんな機体を低速の爆撃機と密着させながらの護衛任務に就かせてしまったのだから、さあ大変。

 

速度・運動性すべてに勝るスピットファイアはおろか、ハリケーンにも歯が立たず、爆撃機の周囲をコバンザメのごとくノロノロ飛んでいたところをボコボコにされてしまうのだった。

 

 

しまいには、このBf110を護衛するための護衛戦闘機が必要という本末転倒な事態に陥ったため、本来航続距離の不足から長距離侵攻任務には全く向かないBf109が駆り出されたのである。

 

 

しかしそのBf109も案の定、航続距離の根本的な不足から十分に爆撃機を護衛できず、英国上空での戦闘可能時間はわずか十分かそれ以下という酷い縛りプレイを課せられる羽目になった。

 

対するイギリス軍は、燃料不足でいずれ引き返さなければならないBf109部隊をスピットファイアに任せて足止めしつつ、ハリケーン爆撃機を攻撃させる戦法を取ったため、ドイツ軍の被害は拡大する一方となる。

 

イギリス側はたとえ撃墜されても、パラシュート脱出に成功してパイロットに大事がなければ、すぐに陸で補充機を受け取って再出撃・・・なんてこともできたのだ。

 

しぶとく抵抗する英空軍とずるずると消耗戦を続けた挙句、ドイツによる英国本土上陸作戦(アシカ作戦)は未遂に終わってしまった。

 

ただし、ドイツが守勢に入ってからは皮肉にも航続距離の問題は大して重視されなくなる。

 

むしろ軽量な本機は侵攻してきた敵機に対して優位に戦えるため、エース級のパイロットはBf109をなんだかんだ言って評価していた。

 

特に、燃料を大量に搭載することで機動性が大幅に悪化するP51などにとって、熟練パイロットの乗るBf109は決して油断ならない相手だった。

 

【火力不足を補うために空力特性が悪化】

Bf109の「小型軽量」という特徴は、航続距離だけでなく火力面にも悪い影響を及ぼした。

 

なんせ搭載スペースが小さいので、より高威力な機関砲や弾薬を搭載することが難しかったのである。

 

特に、モーターカノン(プロペラ軸内機関砲)の実用化が遅れたE型までは、7.92mm×4丁という、スピットファイアやハリケーン(7.7mm×8丁)の半分くらいの火力しかなかった。

 

機動性の悪化を承知で、スイスの「エリコン社製20mm機関砲」を国産化した「MGFF機関砲」2門を翼内に搭載したE後期型も存在したが、弾道が悪くて装弾数も少なく、扱いは難しかったという。

※このエリコン機関砲を日本でライセンス生産したものが、「ションベン弾」と揶揄された九九式二十粍一号機銃である。

 

その後、試行錯誤の末ひとまずF4型の完成でモーターカノン(高威力で装弾数も多いマウザーMG151/20を1門)の搭載に成功。

最低限の火力は確保することに成功したが、大型かつ重装甲を誇る米爆撃機と交戦するようになると、これまた火力不足となる。

 

 

ひとまず、機首武装を13mmに交換するところから始めたが、従来の7.92mm機銃よりデカくなったので従来の機首カバーに収まりきらず、「ボイレ(コブ)」と呼ばれる突起を追加するという苦肉の策を取る。

 

むろん空気抵抗が増えるので性能は悪化したが、これでもまだまだ火力不足。

 

 

さらなる苦肉の策No2として「ガンポッド」・・・

すなわちMG151機関砲やMk108/30mm機関砲2門をゴンドラに乗っけて、主翼に装着することで対爆撃機用の火力を確保しようとした。

 

しかし、ガンポッドを装着すれば重量と空気抵抗のせいで当然機動性は悪化してしまう。

 

護衛機がいない爆撃機を襲うだけならまだしも、P51などが爆撃機に随伴するようになると迎撃は困難を極めた。。

 

K型になってようやく主翼内に機関砲を収納する十分なスペースができたが・・・時すでに遅し。

 

モーターカノンおよび主翼内にMk108/30mm機関砲を搭載し、小型戦闘機最高クラスの火力を手にしたK-14型は、完成していたのかすら定かではない。

 

 

【軍馬とサラブレッド・・・Fw190の登場】

何だかんだ終戦まで使われたBf109であるが、その地位を脅かしかねない強力なライバル・・・もとい嫌な同僚が登場した。

 

それが、フォッケウルフFw190戦闘機である。

 

もとは「補助戦闘機」として開発されたFw190だったが、こと「兵器」としての完成度は明らかにBf109を上回っていた。

 

  • 新米パイロットでも扱いやすい
  • 頑丈な主脚による着陸性能の高さ
  • エンジンや機体構造も頑丈で信頼性に優れる
  • 小型単発機でありながらとんでもない重武装
  • しかも余剰馬力を活かしたヤーボ(戦闘爆撃機)への適性もある

 

・・・などなど、Bf109の欠点を意識したかのような当てつけがましい設計思想で完成されたFw190は、

 

バトルオブブリテン敗退後のドーバー海峡で、かつてBf109が散々苦戦したスピットファイアを散々に蹴散らし、一時的に制空権を奪って見せるという華々しいデビューを飾る。

 

「もうBf109引退していいんじゃね?」

 

という声が出たのも無理からぬ話であったろう。

 

 

また西だけでなく、対ソ東部戦線でもFw190は大活躍する。

 

Bf109の離着陸性能の悪さは整地の不十分な東部戦線では特に問題視されたが、ここでも「ラフな着陸でも平気な主脚を持つFw190」が(Bf109と比較されて余計に)好評を得てしまった。

 

さらに、Fw190は戦闘爆撃機としても優秀で、鈍重な急降下爆撃機であるJu87などに代わって対地任務をこなして見せた。

さらに爆弾さえ投棄すれば空戦性能も高いFw190が敵機を撃ち落とすことも多く、護衛させられたBf109パイロットが「バカバカしい任務」だと感じていた逸話も紹介されている。

 

 

・・・このように、何につけても優等生なFw190の登場によって存在意義を危ぶまれたBf109であるが、唯一「高高度での戦闘」においてはFw190を上回っていた。

 

Fw190の搭載するBMW801空冷エンジンは、20,000フィート以上の高高度では急激に出力が低下するという欠点がある。

 

それに比べて、Bf109のダイムラーベンツDB601~605液冷エンジンは、米軍機のようなスーパーチャージャーこそないものの、比較的高高度でのパワーダウンがマシな部類なので、ドイツの熟練パイロットの中にはFw190よりもBf109を好む者も多かったという。

 

 

このように、Bf109は兵器としての信頼性や汎用性はFw190に劣ったが、空戦性能に関してはFw190とも差別化が出来ていたのか、結局Bf109は終戦まで主力戦闘機の座を退くことはなかったのである。

 

世間では「軍馬」と呼ばれたFw190に対し、Bf109を「サラブレッド」と対比することもあるが、なかなか言い得て妙ではなかろうか。

 

 

一向に出来上がらない後継機

そもそも・・・

 

なぜ基礎設計が「1930年代中盤」という古い機体を、ドイツは使い続けなければならなかったのだろうか。

 

スピットファイアも設計年代は同じくらいだが、あちらは基礎設計が優れていたためエンジン換装だけで十分な性能アップが可能だった。

 

しかし、一方のBf109はというと、設計の古さに・・・だけに起因するとは言い切れないような問題を大量に抱えていた。

 

本来ならより設計が進歩した後発の新型機に主役を任せて退くべき・・・というのは実はドイツだって考えていたのだ。

 

それでもドイツがBf109を使い続けた理由は、Bf109の後継機が一向に出来上がらなかったという一点にある。

 

「レシプロ戦闘機Bf109」の後継機として開発された機体には、Me209とMe309

 

Me209

いずれもBf109の後継機として開発が進められていたが、

 

速度記録機から発展した「Me209」

後述のMe309の失敗後に別の後継機として開発された「Me209」

 

・・・という、二系統の「Me209」が存在する。

 

・・・が、いずれも「(同じ液冷エンジンなら)Bf109GやFw190Dでよくね?」という程度の性能しか発揮できず、同社のMe262ジェット戦闘機も登場していたため、計画は当然のごとく凍結された。

 

その開発経緯がややこしい子達なので、いずれ別記事で語ろうと思う。

とりあえず「失敗作だった」という理解でOK。

 

Me 309

P39のような前輪式着陸装置や水滴型風防など、Bf109の諸問題を解決した意欲作・・・のはずだったが、余計な新機軸を搭載しすぎた弊害か、初飛行から問題が続出。

 

肝心の飛行性能も、Bf109Gや、同時期に開発が進んでいたFw190Dに劣るものだったため「採用価値なし」としてこれまた没になる。

 

要するに失敗作。

 

この設計思想を受け継いだ発展型として「Me509」も計画されていたが、やはり没となっている。

 

Me262

メッサーシュミット社の最高傑作にして世界初の実用ジェット戦闘機・・・といえば聞こえはいいが、エンジンの信頼性もパイロットも何もかも足りていないのでBf109の後継機・・・というポジションにはそもそもなり得なかったのである。

 

おまけにただでさえドイツ全体が燃料不足なのに燃料バカ食いだし、挙句チョビヒゲ閣下は「爆撃機として使え!」と謎のこだわりを見せたため運用は困難を極めた。

 

 

繋ぎに繋ぎを繰り返し、終戦までこき使われた老兵

・・・とこのように、Bf109は後継機となるはずの機体がことごとく完成しない&間に合わないという理由で

「引退しようにもできなかった」

のである。

 

 

そういうわけで、Bf109は各種改良を繰り返しながら終戦まで現役を張る羽目になった。

 

 

とはいえBf109は、そもそも基本設計(小型軽量の機体)からくる性能限界があった。

 

さっき言った火力もそうだが、火力を増強するためには機体そのものを無理やり拡張せねばならず、機首に「コブ」ができたり、ガンポッドを搭載したりと無理が生じた。

 

 

また問題とされた着陸性能に関しても、安全性を高めるためにタイヤを太くした結果、主翼に太くなったタイヤを収納するスペースが必要となりここにも「コブ」ができた。

 

 

改良しようとすればするほど、機体構造に無理が生じる。

 

 

その姿はまるで、全身がコブやシミだらけになったおじいちゃんのようである。

 

ある意味、頼りない後輩たちのせいでなかなか引退できない歴戦の勇士である。

 

お爺ちゃんはお爺ちゃんでも「最強の老兵」的なお爺ちゃんだったのかも知れない。

 

「世界で一番生産された戦闘機」という記録を達成してしまったのは、そういう事情もあってのことだった。

 

 

イカレたメッサーファミリーを紹介するぜ!!

さて、ここからは、メッサ―シリーズの各型やその開発経緯を紹介していこう。

 

【Bf109V】

スペイン内戦でテストされたプロトタイプ。

旧型のI-16などに対して一撃離脱およびロッテ戦法で圧倒し、その性能を実証した。

 

【Bf109A】

ユンカースJumo210エンジンの代わりにロールス・ロイス ケストレル(570馬力)を搭載した型。

 

この時点ではエンジンの非力さが指摘され、競合機のHe112などに押されていた。

 

【Bf109B~D】

エンジンにユンカースJumo210シリーズを搭載した型。

 

こちらも原型機Bf109Vとともに各型少数がスペイン内戦やポーランド侵攻で使用された。

 

【Bf109E】

バトルオブブリテンにおける主力機。

 

それまでの型の大きな違いとして、エンジンがダイムラーベンツ社のDB601エンジンに換装されたことである。

 

この新型の直接噴射式エンジンを活かし、スピットファイアやハリケーンなどキャブレター式エンジンを搭載している敵機が「マイナスGをかける(つまり機首下げ操作をする)とエンジンが止まる」という弱点を利用して戦うことも出来た。

 

その性能を活かして英空軍のスピットファイアやハリケーンと激戦を繰り広げ、華やかな活躍を・・・と言いたいところだが、その航続距離の短さが一連の空戦で大問題となる。

 

E-7型では増槽タンクを追加したことで多少航続性能はマシになったが焼け石に水だった。

 

【Bf109F】

大戦中期を支えたメッサー。

 

エンジンが改良型のDB601N~Eに換装され、馬力が向上。

 

さらに、空気抵抗削減のために主翼設計の見直しや、それまでの型に付いていた尾翼支柱なども撤去され、さらに決定版のF-4型ではモーターカノンに高威力の国産機関砲・マウザーMG151/20が搭載される。

 

空力特性・エンジンともに完成を見たのがこのタイプであり、ヨーロッパ、東部、アフリカなどあらゆる戦線を支えた。

 

かのマルセイユが愛機とし、スピットファイア相手に格闘戦を挑んでバタバタ落としまくったのもこの機種である。

 

これより後のG型は後継機の永遠の遅刻により、無理やりな魔改造で無理やり使い続けた感が強い。

 

よって「メッサ―シリーズの到達点」はこのF型かも知れない。

 

なお、火力と空戦性能どちらを優先すべきかでパイロットたちが議論した「F型論争」も起こっているが、F型は結果的に「格闘性能重視派」の意見を取り入れた機体となった。

 

【Bf109G】

通称「グスタフ」。

 

本来ならこの辺で後継機のMe209などと世代交代したかったはずなのだが、一向に後継機は完成しない。

 

というわけで、F型でほぼ性能限界が来ていたところからさらに魔改造を繰り返し、終戦まで主力を張る羽目になったのであった。

 

Bf109G1~G2

F型のエンジンを新型のDB605に換装。

 

初期のG-1型は与圧キャビンとGM-1高高度出力増強装置を搭載した高高度型として開発されたが、諸々の問題から撤去されて実戦投入されたのがG-2型である。

 

さらなる性能向上を果たしてF型に続く主力に・・・のはずだったが、新型エンジンの信頼性が芳しくなく、事故が多発した。

 

G-2型はかの「アフリカの星」ハンス=ヨアヒム=マルセイユを事故死させた機体としても悪名高い。

 

Bf109G4

G-2のマイナーチェンジ版で、無線の改良や、特に東部戦線の不整地に対応するべく主脚のタイヤ直径を拡大した。

 

そのため、主翼上部に若干の膨らみが発生している。

 

Bf109G6

この辺からだんだん(主に見た目が)狂ってくる。

 

大きな変更が、機首武装が7.92mm機銃から13mm機銃に換装されたことだろう。

 

だが、この13mm機銃が7.92mmより若干デカかったため、従来の機首カバーでは収まりきらなくなった。

 

 

というわけで、G6型からはこんなコブが生えた。

 

 

この「コブ(ドイツ語でボイレ)」を可愛いとみるか、格好いいとみるか、キモいとみるか、不細工とみるか、それは君次第だ。

 

※なお、筆者は「Warthunder」においてこのコブに日章旗を貼り付け、あたかも血走ったギョロ目のようなキモい系のデザインにしている。

と思ったら、史実のマーキングでもこのコブの部分に目を描き入れる発想は存在したようだ(笑)

 

 

この辺から、メッサ―シリーズはどこかしらコブがあったり、一部が不自然に膨れている型が多くなってくる。

 

ただ、中にはG10型やK型と同じ、コブで誤魔化すのではなく機首全体を膨らませて空力特性を改善した機首カバーを搭載したG6派生型※も登場して非常にややこしい。

※Bf109G-6/ASなど。こいつは高高度仕様のエンジンを積んでいる。

 

ついでに、風防もG10型やK型と同じで枠の少ない「エルラ・ハウベ」に換装されたりして、そいつらはもうG14型やG10型とほとんど見分けがつかない。

 

というか、大戦末期は混成部品で製造された機体もあったらしいのでそもそも厳密な型分けがされていたのかすら怪しい。

 

それはともかく、結果的にG6型はメッサ―シリーズの中でも最多生産型となった。(なってしまった)

 

メッサーG後期型をややこしくしている元凶その1である。

 

 

Bf109G10

「もうこれ以上は性能向上無理ッス!」と思われたメッサーG型が、強引に限界突破を果たしてしまったタイプ。

 

エンジンはアップグレードしたDB605Dとなる。

 

クソややこしいのだが、本機はさらなる性能向上型であるBf109K型の繋ぎとして開発された機体という位置づけであり、K型で実装される尾輪の引き込み機構や主脚カバーは付いていない。

 

でもエンジン周りの形状だけはK型と同じ仕様に改良されているからよく見ないと間違えやすい・・・という代物。

 

諸説あるが、このエンジン換装によりG10型の最高速度は、P51B~Dにも迫る690km/h前後まで迫ったという。

 

一応、ぶら下がっている尾輪がG6やG14よりちょっと長い、エルラ・ハウベ装備、機首形状がコブではなく全体的に膨らんでいるものは(たぶん)G10型という見分けは出来る。

 

 

Gf109G14

メッサーG後期型をややこしくしている戦犯その2。

 

G「14」と、G10より型番は後だが、実戦投入はむしろG10より先で、ついでに性能はG10よりも低く、G6よりはマシという程度。

 

なんでこういうワケの分からんことになったかというと、本タイプはいわば、

「K型完成までの繋ぎとして開発中だったG10」の、「さらに繋ぎ」として開発されたタイプである。

 

 

  • なんせ、G6型では性能が足りない。
  • でもK型も完成しない。
  • その繋ぎであるG10型も完成しない。
  • じゃあその繋ぎとしてG14型を(ry

 

 

・・・とまあ、こんな感じの開発経緯なのである。

 

 

ぶっちゃけ自分でも書いてて伝わってるかどうか、あるいは自分の理解が正しいのかどうか非常に不安になるのだが・・・w

(親切な人、間違ってたら教えてくださいお願いします)

 

 

ちなみに、他のG後期型同様、新型に使う予定だった部品とキメラ(混合)されるケースも多かったようで「G14型」といっても統一性に欠ける機体だったようである。

 

おかげで、中にはG6後期型やG10と見分けがつかない個体も存在する・・・。

 

 

【Bf109K】

色々極めすぎちゃった、究極のメッサーともいえるタイプ。

 

・・・といえば聞こえはいいが。

 

  • 後継機は一向に完成しない。
  • メッサーシュミット社の切り札であるMe262も問題だらけ。
  • Fw190は高高度性能が劣るので完全にBf109を置き換えるには至らない。

 

そんな事情の中、妥協に次ぐ妥協でここまで109を引っ張った挙句に生み出されたホムンクルスみたいな存在だと考えると、ある意味可哀相な機体である。

 

 

基礎設計が10年以上前の機体を、結局1945年の終戦まで改造して使い続けたのだからまったく恐ろしいものである。

※同世代のライバルである英国のスピットファイアも似たようなものだが・・・。

 

 

しかし、メッサーもK型になってようやく基礎設計がだいぶ見直され、長らくシリーズの欠点だった部分がいくらか改良されている。

 

主に・・・

  • 機首カバーは、機銃の換装やエンジンの大型化に応じた滑らかな形状のものに変更。コブで誤魔化していたものよりも空気抵抗が減る。(これは前述のG後期型の一部にもフィードバックされた)
  • 風防が、枠の少ない「エルラ・ハウベ」に換装。(これもG型の一部にフィードバックされた)
  • ヒョロ長すぎて離着陸の際に事故を起こしやすかった主脚が短く、タイヤもより太くなり、離着陸性能が若干改善された。ついでに主脚カバーの搭載で空気抵抗も削減。
  • 従来の109シリーズでは不可能だった翼内武装が可能に。(ただし諸説あり)
  • 尾輪もようやく完全引き込み式に改良され、これも空気抵抗を削減。

 

 

でも結局、K型自身も(主にエンジンの)開発が滞って実戦投入は遅れに遅れる。

 

そのため、G10やG14といったミリオタ涙目なややこしいサブタイプを生み出す羽目になったのだが・・・

 

 

・・・ここでまた、ややこしい話をする。

 

実は、K型の完成が遅れたのは本来搭載予定だった「DB605L」エンジンの開発が遅れたためであった。

 

しかし、結局待てども待てどもDB605Lは完成しなかったのである。

 

 

・・・というわけで、妥協に次ぐ妥協で生産された初期の「K4型」では、

 

「K型完成までの繋ぎだったはずのG10型と同じ「DB605D」エンジンを積むしかない」

 

・・・という、本末転倒な事態に陥った。(ややこしいんじゃボケ!!)

 

 

つまり・・・Bf109K-4型は、本来ドイツ空軍が想定していた「真のK型」ではなく、実質G-10のエンジンとK型に使用される予定だった新機体を組み合わせたものにすぎない。

 

 

それでも一応、米軍のP51などに遜色ないスペックにまでパワーアップしたK4型はG10型、あるいはFw190D型などと同時期には実戦配備が進められる。

 

が、残念ながらこの機体を使いこなせる熟練パイロットはほぼおらず、結果は散々だったようだ。

 

また、大戦末期の混乱ゆえか本命のDB605Lと4枚ペラを搭載した幻の「K14型」が存在したとか、実はG14の誤記でそんな機種は存在しなかったとか、色々ややこしい伝説が残る。